木鶏鳴子夜

先日、谷中にある天龍院というお寺で座禅を組む機会に恵まれました。
そこの住職曰く、座禅とは...
「ただ、座ってるだけだよ」
思わず笑ってしまいました。
普段我々は物事を難しく考えすぎる傾向にあるのかもしれません。
深い世界ほど、単純で、見た目や様式になどこだわらない。
住職はこうも話していました。
人は我慢が好きでしょう。
「座禅も足が痺れても我慢して続けたりする人がいるんです。
でも、人はその我慢の先にご褒美があると思ってやっているんですねぇ」
一見、我慢して座禅を組むことはすごいことのように思えますが、我慢してその先のご褒美を待ちわびる事がすでに「欲」なのだと。
何かを続けてきた方ほど、ビックリするくらい気さくなものです。
木鶏鳴子夜
いかにも強そうに見せている人が本当に強いわけではありません。
本物の強さや人格は、木鶏のように泰然として動じないもの。
そうありたいものです。
住職は木鶏ではなく、木彫りのクマのような方でしたが…笑