己を知りうるものは賢者なり
己を知りうるものは賢者なり。
英国の詩人 G=チョーサーの処世訓です。
己を知るうる、、、
簡単なようで難しい。
自分の声は人にとって耳障りなものなのだとか。
だからこそ音読し記憶に残す、そんな暗記法もあるほどです。
そして座禅を組み、そっと己と無いきあう。
自分の弱さや、特徴を客観的に見つける訓練のことです。

私は昔キックボクシングをしていました。(試合には出ないタイプのものですが)
パーソナルトレーナーの元、2時間汗が水溜りのようになるほどに。
それを週に3回と、別にまたトレーニングを。
その後ヨーガに出会い、今も事あるごとに己の肉体との対話を楽しんでいます。
なぜわたくしがトレーニングが好きなのかと申しますと、
自己とフィジカルに向き合い続けることだからです。
肉体を客観視でき、さらには外観と内面が変わってくるのを如実に感じることができる。
肉体とは、魂を入れておく皮袋です。
その袋はいかようにも変化する。
生活習慣とともに。
それを自制しコントロールするのが、精神なのです。
体が鍛えられて、悪いことがいくつありますでしょうか。。。
いや、無い!
もちろんルックス的にも。
三島由紀夫が必要なまでにボデイービルに執着し、
その鍛え上げられた肉体をプールサイドで日焼けさせ、
人目に晒していたのは
決して泳ぐための行為ではなかった。
この、三島と言う男は、ナルシストでもなく
そのような己をさらけ出すことの好きなタイプではなかったと拝読しております。
ではなぜ?
それは、自己との戦いと自制心を認める場であったのであろうと、書かれておりました。
己を知る、賢者。
弱さと愚かさを知る事で、わたくしは冷静になれます。
無識のまま死にゆく我が身も。
欲に負ける我が心も。
未熟なこのわたくしも。
有る事難し、ありがたし。