世の殿方、必読ですよ。
国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心あるを名付けて国宝となす。

これは天台宗開祖の最澄(767−882)の言葉です。
ものだけが国宝とは限らない。
求道心ある人の心こそが国宝と呼べる。
という解釈だそうですよ。
最澄は12年間比叡山に篭り延暦寺を開いた。
日本における仏教の新しい幕開けである。
19歳で受戒した夏、深い無常観によって天台智顗(テンダチギ)の教えに到達し、160部の著書を残す。
宗教によっていろんな考えがまとまり、政治や人々の心に何かを残すことになります。
そこに墨跡もあり、藝術も庇護され、こんにちに至るものさえあるわけです。
今や、わたくしたちの生活は昔のどんな殿様の生活よりも快適になり、
寒かったらボタン一つで暖房器具に恵まれ、お腹が空いたら24時間コンビニエンスストアなどで手に入るという時代に生まれました。
千利休(センノリキュウ 1522−1591)も
「家は洩らぬほど、腹は飢えぬほどにてたることなり」
とおっしゃっていますが、なかなかそうはいきません。
わたくしの先輩方には素晴らしい方がたくさんいらっしゃいます。
「羨ましいと人から思われたらその時点で悔い改めよ。」
「景気に馴染むことを良しとすること。」
「腹の汚い女になるな。」
ー腹が汚いとは、カバンの表は拭きあげても側面の蛇腹の部分に目が届かぬこと
ー腹が汚いとは、靴のつま先は磨いても底面のヒールの内側を磨かぬもの
ー腹が汚いとは、面だけを繕っても内面を磨かぬものは、それまでだ。そんな女性になってはならぬ、という意味だそうです。
絵を描くことが好きなわたくしも、化粧は苦手のことの一つです。
しかしパレットの縁が汚いことは嫌なのです。
コンパクトの縁が綺麗でないことは、いくら顔を繕っても、どこか違和感があるというもの・・・。
世の殿方、おつきあいしようとしている女性のお化粧ポーチを見てごらんあそばせ。
玄関からリビングに通される間にその人のお育ちがわかりますよ。
コートをどこで脱ぐのか。
靴の脱ぎ方、玄関での上がり方。
どこでご挨拶をなさるのか。
それは、習って即日で身につくものではありませんので、日頃からの環境ですね。
求道心。
ああ、恐ろしや^0^¥
所作の美しい人に惹かれる、人間美。
どこの国に行かれても 見ている人は見ております。